ミャンマー・モガウンでエイズで親をなくして身寄りのない子供のためにモガウンを建設するプロジェクトがスタートして早6か月たちましたが、当初目標としていた建設資金50万円が目標達成です。
いよいよ建設に向けてスタートするために、現地へ贈り物と建設資金を届けると共に建設の準備状況や詳細な打ち合わせを行うために訪問いたしました。
第1章 いざ出発
今回の行程は、福岡空港発⇒バンコク⇒ヤンゴン(宿泊)⇒ミッチーナ⇒モガウン(2泊)⇒ミッチーナ(宿泊)⇒ヤンゴン(宿泊)⇒バンコク(機内泊)⇒福岡
メンバーはみなみYMCA職員1名、東部YMCA職員1名 桐原氏、みなみYMCA運営委員 熊本氏・みなみワイズメンズクラブメンバー1名、熊本YMCA前総主事1名 堤氏、野村氏(東京)の合わせて5名
- 福岡からバンコクへ向けて出発します
- ヤンゴン空港搭乗手続きです
- マンダレーを経由し、ミッチーナ空港へ無地到着しました
- 懐かしいミッチーナ空港。もう銃を持った軍人さんは見当たりません。
- ミッチーナ空港の「親切な」イミグレーションも無事通過し
- いつもの道をチャーターした車でかっ飛ばし
- モガウンへ入る途中のイミグレーション
- 幾多の難関を越え一安心。・・・でドライブインで休憩です
- モガウン到着。現地YMCAの子供達が笑顔で迎えてくれました
第2章 モガウンへ到着
今回はカチン州、モガウン周辺で政府軍とカチン軍との戦闘が活発化しているとの現地からの情報があり、最終的にはミッチーナ空港でモガウンへ向かうか引き返すかの最終判断を下す予定でしたが、現時点では安全との判断があり、モガウンへ向かえることになりました。
- 現地モガウンYMCAの常議委員とミーティング
- 支援金と建設募金の贈呈
- お土産をお披露目
第3章 新築から改修へ
現地モガウンYMCAメンバーからの提案で、新たに孤児院としてバンブーハウスを建築するよりも新たに取得したYMCAの建物を改修した方が、以下の三点で有利であるのでそうさせてほしいとの提案があり、提案の内容で進めることになりました。
1、強固な建物でバンブーハウスよりも永続的に使用し続けられる
2、部屋数も多く取れ、男女別の寝室やダイニング、スタディールームが確保できる
3、新築よりも少し安価に整備できるために、設備等の充実へ融通することができる
今後の運営費についても議論がありましたが、年間の運営費予定100万円(人件費・食費・教育費・医療費・光熱費・建物メンテナンス)のうち、予想していたよりも食費の割合が多いことに驚かされました。
しかし10名の7歳から17歳までの子供たちが1食平均50円の食事を毎日3回食べたら、一年間に547,000円が必要になる事でした。たしかに計算してみればそのとうりです。
ちなみに今回の訪問で私たちが食べた米麺の朝食が一人40円位。夕食が400円位(アルコール含まず)
で考えたらまっとうな金額より少し安すぎるのかなとも思います。もっといいもの食べさせたいけど・・・
- 建屋部分
- 基礎部分
- ベランダ兼、渡り廊下。
第4章 孤児宅へ訪問
現在、モガウンYMCAでサポートしている子供たちが39名いて、そのうち10名を孤児院へ迎えたいということでした。
ただ、現時点では親戚が生活の面倒をみている場合や祖母や祖父が一緒に暮らしている場合などもあり、将来的には祖母や祖父が亡くなった場合などを考えると、孤児院で受け入れる必要のある孤児の数はもっと増えていくだろうと想像できるのですが、資金や運営費用等の問題もあり、今後の課題として考えていくことになりました。
- とても綺麗にされたお宅へ上がらせて頂きます
- 親戚のみなさんもご一緒に意見交換
- YMCAのサポートで英会話を習い始めたそうです
- おばーちゃん、叔父さんたちが見守る中
- HIVの薬を飲むのがつらいと語るキキちゃん
- 綺麗に片づけられた炊事、食器類
第5章 モガウン周辺地域視察
カチン州に位置するモガウン周辺では、政府の干渉が少ないことや中国との国境が近いことと戦闘地域も近いことから治安が危ぶまれる事件もありますが、基本的には生活上の不安は無さそうに見受けられました。
現在5年間続けているモガウン支援ですが、訪問するたびに、その変化には驚かされるばかりです。
また、今回はモガウンで亡くなられたおじさんの為に東京から支援に参加して下さった野村さんのおかげで、モガウンに駐留していた旧日本軍のインパール作戦前線基地跡への訪問や、日本軍と地元住民がある程度コミュニケーションが取れていて良好な関係にあったことなどを知ることができて、モガウンという地がより身近に感じられました。
- 協会で見つけた「カチン州はドラッグフリー」と揶揄するポスター
- 最近起こったレイプ事件の現場検証を撮影した映像(閲覧注意)
- 地域には殺害された娘達の写真を掲載したストップレイプのポスター(閲覧注意)
- 戦争後不発弾で作られた教会の鐘
- 旧日本軍が使用していた防空壕で献花
- 地元の教会で運営されている保育園へ慰問
- インド人が経営する自転車屋さん
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野村氏よりモガウンYMCAへ自転車を2台寄贈
(2台で日本円で12000円・・・ウーン安くない)
- な・な・なんとモガウンにローラースケートリンクが
- 立派な銀行の建物も完成していました
- YMCA委員を含めた会食会。(後ろにはアウンサンスーチーカレンダーが)
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会食会の最中に、突然の停電
・・・誰も驚かない事に驚きました(笑)
第6章 YMCA同盟とミーティング
モガウンからミッチーナを経由しヤンゴンへ戻ってきました。
モガウンやミッチーナもさることながら、ヤンゴンの発展にはさらに驚かされます。
道路を走る車の質が格段に進化していくことから、各国企業の出店と看板やテレビコマーシャルの多さ、街並みに集う人間の数の多さ、地元の皆さんのファッションの変化、特に以前は多く見られた民族服から現代的なパンツファッションへの変化、特にめざましく変化したことは外国人の多さではないかと思いました。(日本人がいたるところに増えたこともびっくりです)
ちなみに現地(ヤンゴン)の一か月の平均給与は6000円程度ということでした。(モガウンは2000~3000くらいでしょうか?)
- ミーティング前にヤンゴンのバガンを訪問
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素足になり月曜の神様へ
孤児院プロジェクトの成功をお祈りいたしました
- ミャンマーYMCA同盟のビル
- ビルの前は大規模な地下共同溝の工事中でした
- YMCA同盟のモンモンウィンさんとのモガウンYMCA支援でミーティング
- ミーティング後のデザートにドリアンを食しました
第7章 ヤンゴンを後に
とにもかくにも、今回の目的であった事は十分に果たすことができ、4月で日本からモガウンへ帰るヌーヌーさんと共に、現地への支援体制をより確かなものにしていくための準備が十分に確認できた実のある訪問になっと様です。
1、建設資金を届ける
2、6月に向けての建設準備を確認する
3、今後の運営費用等の支援内容を確認する
- 空港前は再開発の為か広大な更地へと変貌
- 搭乗手続きはいつものように大混雑で列に並びます
- 出国手続きへ。いざ・・・バンコクへ
今後はさらに、毎年の孤児院運営資金の募金活動に力を入れていくことができると思います。